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尹公壇は1972年6月26日に地方文化財記念物第9号として指定された。現在、タデ洞1234番地(タデ1チュゴンATPの入り口)にある。
文禄の役に、日本軍との戦いで殉死した多大僉使である尹興信と共に戦い、戦死した兵士と民間人の忠節を称えるために1766年に多大僉使である李海文が多大客館の東側に設置した祭壇である。
当時、多大僉使である尹興信は弟の興梯と兵士や民間人を率いて、手強い日本軍と戦い壮烈な戦死を遂げた。一説によると、第一日目に日本軍は多大浦鎮を包囲して攻撃したが、尹僉使が撃退したと言う。
その翌日に敵が再び攻撃してくることを予想し、それに備えたが、敵の攻撃が前日よりさらに激しかったため、全員が亡くなった。この祭壇は、多大浦僉使営の城内であった今のタデ小学校にあったものを、1970年12月5日に現在の場所であるタデ洞1234番地に移転させた。碑石の前面には「僉使 尹公 興信殉節碑」と彫られており、裏面には戦績について記録されている。
また、碑石の両側には義士尹興悌碑と殉亂士民碑が建てられている。現在は、地域住民を中心に毎年4月41日に行われている。
文化財名 | 現況 | 時代 |
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尹公壇 |
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朝鮮時代 |