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忠節の尹公壇

  • 住所 : 沙下区 ユンゴンダン路112(タデ洞)
  • お問い合わせ : +82-51-220-4084
基本情報

尹公壇(釜山市の地方文化財記念物第9号)は、文禄の役で日本軍と戦い殉死した多大僉使(官職名)である尹興信将軍の忠節を称えるために、1765年に多大僉使である李海文が多大客館の東側に設置した祭壇だ。1970年に多大浦客舎を没雲台に移す際、現在の場所(タデ洞1234番地)に移転した。周辺の護国文化財には、鄭運公殉義碑と多大浦客舎がある。無形文化財としては多大浦・フリソリがある。

尹興信(ユン・フンシン)(1540年~1592年)

章敬王后の兄である左賛成(官職名)の尹任の5番目の息子。乙巳士禍の時に、父親と2人の兄が殺され、家族と財産を全部没収された。しかし、1570年と1577年など2回にわたって官職と財産を取り戻し、1951年に多大僉使として赴任した。1592年4月13日に日本から侵略を受け、城が包囲されたが見事撃退した。翌日も日本軍からの攻撃を受け、部下から後退の進言があったがそれを拒み、城と命運を共にすることを覚悟した。
城門を閉め、残りの部下と共に城を守りながら、壮烈な戦死を遂げた。しかし辺境のことだったので、長い間その史跡が知られていなかった。英祖(朝鮮時代の第21代目の王)の時に、原任副提学である趙曮が戦亡事蹟敍を書いて、忠烈祠に合祀することを進言した。東莱府使の姜必履は死節記を書いて、合祀を願い出た。その結果、1772年に礼曹の稟議を経て合祀した。忠烈祠と尹公壇(陰暦4月14日)で毎年祭祀を行っている。

周辺の文化財
  • 鄭運公殉義碑
  • 多大浦客舎
  • 多大浦フリソリ